どうでもいいから始まった

気付けば折り返しを過ぎていた。人生って何だろう。。

母という人

娘は母を越えられない。

 

確かにその通りで、私には絶対越えられない存在だと常々思っている。

働き者・努力家・賢い・よく気が付く・辛抱強い・そして思いやりのある人。

 

母が寝込んでいるのを、2度しか見たことがない。

弟を出産した時と、私と一緒にインフルエンザにかかってしまった時だ。

 

子ども心に、母はいつ寝ているのだろう?と、よく思ったものだった。

布団に入っている姿を、子供の頃には見たことが無かった。

 

自営業で、住み込みの従業員が居たこともあり、食事の支度に、大量の洗濯、そして仕事と本当に休む間もなく働きづめだったと思う。

私が洗濯を担当する頃は、洗濯機を2台使って午前が終わった。

 

そんな母、嫁ぐ前は小学校の教師をしていた。教員時代の写真を見たことがある。なりたかった教員を数年で辞めて大所帯の嫁になり、嫁いだその日から台所を任され、姑・小姑・従業員の世話をしてきたのだ。

 

辛くて、いつでも逃げ出せるように雨戸の外に靴を置いていた頃もあったそうだ。

それでも、夜中に通信で簿記を勉強したりと、自営業の嫁として努力は惜しまなかった人だった。

 

母という人は、私にとって尊敬し自慢できる人。

そんな母の背中を見て育った私は、少しでも母に近づくことができているだろうか。

そして、娘に私の背中を自信を持って見せられているだろうか。

 

まだまだ、私は努力をしなければいけない。

 

 

それって必要?

店員が駐車場から客の車を見送る・・・という場面がある。

道に出るまでとか、中には客の車が見えなくなるまでとか。(やり過ぎでしょ)

 

それって必要なのかなと、いつも思う。

車に乗り込んで、すぐに出られない時だってある。

例えば、ナビで場所を調べたり、荷物の確認をしたり、化粧を直したり(笑)。。。

なのに、見送りがいると急いで車を出さなくてはいけない気持ちになる。

 

店側は良かれと思って(マニュアル通り)やっているんだろうけど、ちょっと迷惑と思うのは私だけなのか。

そんな見送りをしてくれたからって、良い気分など感じないし、むしろ他の方の接客をしてくれていいですよと思ってしまう。

 

過剰な見送りより、対応してくれる内容を満足させてくれた方が、何倍も好感を持てるのに。

 

「本日はありがとうございました。こちらで失礼いたします。お気をつけてお帰り下さい。」なんて言葉でいいのではないかと思う。

 

中には、そんな過剰な見送りに、優越感を感じる人もいるのだろうか。

そんなちっさい人間にはなりたくないものだ。

 

 

それにしても、今夜はまとまった雨が降っている。

落ちて地でまとまっていた金木犀の花が、雨で流されていくんだろう。

今夜は雨音を聞きながら、熟睡できそうだ。

 

秋が香りと共にやってきました

キンモクセイが、玄関横で今年も咲いてくれた。

ほんの数日前まで蕾らしきものが出てきたかな?と思っていたら、あっという間に満開!

 

あなたにとって、厳しい環境だったでしょうに、それでも今年も秋を感じさせてくれてありがとう。

 

どうか、この国から四季が失くなりませんように。

 

老人笑うな行く道

認知症の進んだ90歳になる母はとてもおしゃべりだ。しかも活舌が良い。ただし内容は脈絡が無く理解不能だが。

悩んだり、不安になったり、怒ったりと短時間で感情もコロコロ変わっていく。

反論すると機嫌が悪くなったり、不安になるようなので、肯定する返事をしたり、褒めたりしながら相づちをうつ。

 

先日、病院の待合室で、そんな私たちの意味不明な会話を近くにいた親子がクスクスと笑って聞いていた。
女児が笑うのは仕方ないにしても、母親が一緒になって笑うのはどうだろう?

そんな母親に育てられた子どもは、どんな大人になるのだろうか。


自分の行く道の先にある事実を、考え学ぶチャンスを与えてもらっているのだ。

笑うのではなく、黙ってしっかりと見ておきなさい!・・・と、心の中で言う。

 

90年を生きてきて、支えがなければ歩行が困難になり、食事も介助が必要な姿を、元気な頃の母が見たら何と言っただろうと考える。

きっと・・・だろうなぁ。

わかるよ、私もそう思うから。

 

無駄な時間はない

気付けば2023年、既に鬼が通り過ぎてチョコが大量に出まわる時期になっている。

本当に子どもにも初老にも時間は平等に流れているんだろうか。。

6歳の子どもの一日は、52,5600時間のうちの24時間

60歳の初老の一日は、525,600時間のうちの24時間

そっか・・これが一日が短く感じる理由なのかもしれない。


年齢を重ねると、昔のことの方がよく覚えているというけれど、

心に深く刻まれたことは、いつのことでも覚えている。

どうせ深く刻むなら、心温まることがいい。


無駄に時を過ごしている場合ではない年齢だ

やりたいと思ったことは、時を待たずやらなければ後悔する。

一日一日後悔しないように過ごそう。

丁寧に暮らす

子育てが、とりあえずひと段落して、仕事も適度な時間のパートタイマー。

自分の時間がとれるようになってきた。

が、それに反比例して、体力が無くなってきているのが残念だ。

 

私も世間の人たち同様コロナの影響で、自宅で過ごす時間が多くなり、仕事と買い物以外殆ど自宅で過ごす。

 

自宅での時間が増えて何を考えたかというと、ちゃんと生活がしたくなったのだ。

 

さて、ちゃんと・・とはどういうことなのか?

と、考えた時、頭に浮かんだのは『丁寧に』だった。

 

そうだ、丁寧に暮らしたいんだ!

 

ズボラな私なりに、気持ちが豊かになることを始めてみた。

 

・珈琲を豆から淹れる

・色々なパンを焼く

 

まずは『食』からやってみることにした。

気持が豊かになる、一番効果が出やすい『食』

 

初めて手引きのコーヒーミルで、豆を引いた時の感触。

家中に珈琲の香りが広がってゆく。

豆の種類・引き方・お湯の温度・淹れ方

毎回微妙に味が違う面白さ。

 

強力粉など材料の配分・こね方・発酵時間・室温

パンの種類によって様々な方法がある。

毎回、形や膨らみ方が違う難しさが飽きさせない。

 

珈琲もパンも、手間と時間はかかるが、その分心は豊かになっていく様だ。

そして、毎日が楽しくなってきていた。

 

他にも『丁寧』を探して、暮らしに取り入れて行こうと思う。

無理はせず、少しずつ、少しずつ。

 

 

子どもになってしまった君へ

人は何かしら、悩み事を抱えているものだ。

それを表に出すか出さないか。

解決できるかできないか。

全ては自分次第。

 

君がダメならダメでもいい、勝手にダメでいてくれ。

だが、そのダメな君を取り巻く周りにも、ダメが感染していくことを、君は気付いているだろうか。

 

やりたい事だけやり、嫌なことからは逃げ、責められればひがむ。

そんなダメな君を見て、心配になる人、心痛める人、悩み苦しむ人。。。

君はたくさんの悩める人を増やしているのだ。

 

皆、自分の悩みもあるのに、君に時間と心を取られてしまう。

君の悩みは、すでに君だけのものではなくなっているのだ。

 

立ち止まり過ぎていると、そこから動けなくなってしまう。

とりあえず、部屋を片付けよう。空気を入れ換えよう。

汚れた部屋からは何も良い案は浮かばない。

散らかった部屋は、頭の中も散らかっているのだ。

真っ直ぐ欲しいものに手が届く環境にしよう。

 

部屋を整えれば、頭の中も心も整ってくる。

 

そう、まずは動こう。

動きながら考えればいい。

 

人生は思ったより短いのだから。