どうでもいいから始まった

気付けば折り返しを過ぎていた。人生って何だろう。。

場に合うということ

私は、仕事柄いろいろな店舗に行く。

そこで、最近気になることがある。

 

例えば、ディーラー。

家の次に高額な買い物となる車。お客は夢を現実にするため希望に満ち溢れて来店する。

そんな高揚しているお客に、不潔感・疲労感のある社員や、ノーメイクや髪が整っていない女子社員などに対応されたらどうだろう。

私なら、別のディーラーにサッサと向かう。

 

上司はセクハラ・パワハラが怖くて注意や指導ができないのだろうか?とさえ思ってしまう。

逆に化粧が濃かったり、装飾品でギラギラされても考えものだが。

要は「場に合う」ということが重要なのだ。

 

人から指導されなければ分からない、気付かないというのが問題なのだろう。

自分はどこにいて、どうあるべきかを自分で考えられない人間が増えてきたのだろうか。

それとも、それほど仕事に興味がない、意欲が無いのだろうか。

 

どちらにしても、手のかかる困った社会人が増えていることは間違いない。

 

 

娘は母を越えられない

自営業だった我が家は、子どもは家の中心にはいなかった。

子供の頃、泊まりの家族旅行はたった1回。

休日に出掛けることなど皆無に等しかった。

そもそも休日など無かったのだ。

 

母は、朝早くから夜遅くまで家事と仕事に追われる毎日。

子ども心にも、母はいつ寝ているのだろう?とよく思ったものだった。

母はとても強く・賢く・努力家な人で、娘は母を越えられないと言うが、本当にその通りだと思う。私に勝ち目は全くない。

 

同居の祖父母は、かなり厄介な人たちで、私は可愛がられもしなかったし、居候呼ばわりされたくらいだった。

そんな関係だから歯向かって生意気な口をきいたりしたが、後で母が祖父母から叱られていることを知り、表立って悪態をつくのはやめた。

 

両親とも人の何倍も働いていたと思う。

家族団らんというものがよく分からなかったが、とにかく小さい頃の私は、母が家事を早く終わらせて遊んで欲しくて、忙しくしている母のそばでジッと待っていた。

母が手を休めると、もう終わり?と聞いていたものだ。

そんな毎日だったことを、猫をきっかけにふと思い出した。

 

私は猫を飼っている。もう1年半になるが、家に来た時にはすでに1歳を過ぎていたから、2歳半になる保護猫だ。

 

この猫、私がキッチンで作業をしていると、背中を向けてそばでジッと私の様子を伺っている。家事の音が止むと、すかさず背伸びをして私の腕を、ねえねえと言わんばかりにトントンと叩いてくる。

 

そんな猫の様子を見て、あの頃の私だ!

構って欲しくて、淋しくてジッと母を待っていたあの頃の私だ!と思ったのだ。

 

 

私にも娘がいる。

果たして私は娘が越えられないような存在でいるのだろうか。。。

いや、むしろ私など飛び越えて行って欲しいと願う。

 

 

 

流れ星を見た夜に考えること

先日、夜空を眺めていたら、ほんの短い距離を流れ星が流れた。

 

すごく短い距離だったが、確かに流れ星。

3回も確認すると流星群なのかと思い、調べると『りゅう座流星群』らしい。

初めて耳にする星座に、何か嬉しくなった。

 

夜空を見ていると、日々の悩みがとても小さなことに思えて来る。

ハンモックから何時間でも眺めていたいと思う。


宇宙空間の小さな小さなチリが地球の大気と衝突して光を放つらしい。

地平線から反対側の地平線まで流れると思っていたのは子どもの頃で、広い夜空のほんの一部に光の線が流れるものだと大人になってから知った。

 

願い事を必死に言葉にしようとするのは子どもの頃で、大人となった今では見れたことに満足する。

 

チリは流れ星となり最後をむかえる。

宇宙空間に漂い続けるのがいいか、光となって終わるのがいいか。

自分に例えて考えてみたり。。

 

この広い宇宙の中の小さな小さな地球。

そして更に小さな小さな自分。

 

なんだ、大したことじゃないじゃないか。

明日は、今日よりほんの少し楽になる。

 

 

人は変わる。 良くもなり、悪くもなる。

若い頃の自分からすると、今の私は随分と大人しくなったものだと思う。

大人しくなり過ぎて、つまらない人間になってはいないだろうか。

そこは少し気になるところ。

 

新しいことをするのは怖い。

できれば、このまま知ったことばかりのぬるま湯に浸かっていたいと思う。

 

しかし、そうも言ってられないくらい世の中が慌ただしく変わっていくので、一生懸命追いかけて行くのだ。

日々勉強。これに尽きるのだと思う。

 

適度な労働と適度なゆとりが理想。

理想と現実の距離は、年齢を重ねていくと近づいていくような気がする。

 

経験から「程度」というものを知る。

丁度良い、程ほど具合もわかってくる。

重なることは決してないが、理想と現実の程よい距離感を保って行ければいい。

 

そして、質の良い時間を過ごせることが大切だと思う。

 

 

こころ動かされる音楽

ここしばらく、感動するような音楽に出合っていなかった。
たまたま深夜番組で耳を奪われたアーティスト。

ギターの上手さ。
リズム感の良さ。
歌声のすばらしさ。

早速オフィシャルサイトに飛び、youtubeにUPされている音源を聴く。
全体的にやはり同じような曲調ではあったけど、歌詞も良くて
3枚CDを大人買いしてしまった。

調べると大物アーティストの息子と知り、やはりDNAは受け継がれるのだと確信。

しかし彼は自身のサイトで、そのことには一切触れていない。
自分の力でやっていこうという決意なのだろう。

そういうところも魅力のひとつだ。

こんなに素晴らしいものを持っているのに、もっと表に出てきてもいいと思うのに
それだけ音楽の世界は厳しいのだろうか。

しかし、ライヴはどこの会場もsourudoauto。
彼は、ライヴ中心に活動を考えているのかもしれない。

どちらにしても、応援したいアーティストに出合えたことが、私の心を豊かにしてくれたのだ。
ありがとう。

 

腑に落ちた!

このところ、イライラしていたことがあって、どうにも腹の虫が治まらなかった。
なぜ分からないのか!
なぜできないのか!
なぜ変えられないのか!
なぜ努力しないのか!

私ばかりが・・・割に合わない!
と。。。

 


人間の性格はだいたい下記の5項目に分けられるそうだ。

・勤勉性
・協調性
・情緒安定性
・経験への開放性
・外向性

みんな自分は普通と思っているので、自分と大きく異なる人が何かやると、イライラしたり腹が立ったりしてしまう。という。

 

確かにこの5項目のひとつでも真逆な人と付き合うのは、イライラしそうだ。

上手くいかない相手をこれに当てはめて考えてみると

・勤勉性
・経験への開放性

この2項目が完全に真逆だということに気づいた。

 

私にとっては普通にやっていることが、その人にはできない、またはやる気もなければ、やる必要がないのだ。


これは、単に二人の『違い』なだけなのだ。

 

それが分かった時、腑に落ちた!

 

自分と違う相手には、期待や同意は求めてはいけない。

とにかく違うのだから。。。

 

赤信号のあいだに

重たい荷物を持って、トボトボ歩いている高齢者を見かける。

 

家は近いんだろうか。
買い物を頼める人はいないんだろか。
家族はいるんだろうか。
ひとり暮らしなんだろか。
生活はちゃんとできているんだろうか。
今までどんな人生だったんだろうか。


と、赤信号のあいだにいろいろ考えていた。

 

寒空の下、どこまで帰っていくのか。
どうか、幸せでありますように。